國文華協会



平成29年4月 本居宣長奥墓に参拝



 『神葬祭大辞典』という本によると、江戸時代に神葬祭の復興に熱心であり最も早く神葬祭を復興したのが水戸学であったとされています。ただ、この水戸学の神葬祭は明国の神葬祭を模範とした漢式のものであったので、復古主義運動が起こってから本居学派でも本居学津和野学統の岡熊臣などによって神葬祭の復興が試みられたそうです。

 幕末から通訳として日本で活躍したイギリス人、William G. Astonは神葬祭の復興を本居宣長の功績の一つとして評価していますが、同時に政府が、一転して神葬祭を禁止する方向に動いた事で、1899年の時点では完全に運動が途絶えてしまった、としています。(多分、水戸学派などが採用した漢式の神葬祭は続いているが、Astonは日本の國風祭祀の復興運動の事を言っている。)

 皆様も良くご存知の様に本居宣長の葬儀は浄土宗の作法によってなされ、御本人もこれは嫌悪すらせず、寺の和尚に教えてもらって自分の戒名を作るなどしています。(本居宣長は國学者としては珍しく仏教をそれほど嫌悪しなかった。※漢学に対しては激しい批判を浴びせかけたが、インド学では真言僧契沖の著書から多くを学び、オランダ学の地球球体説を支持しています。)

 しかしながら、本居宣長の奥墓には古式の風儀を感じさせるものがあり、神葬祭の復興運動の一つの参考になると思われます。
 行って見たのですが、駅からは遠い山の上にあり、タクシーを利用しましたが、それでも結構時間がかかりました。




(五瀬:平成29年4月22日) 






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