千早城




禍津日神と穢



【禍津日神と穢】

皆様は、禍津日神という言葉を御存知でしょうか。

明治維新直後、比較的影響力のあった本居宣長國学も、政治主導の流れが加速するに従って長州寄りの津和野派に主導権が移ります。つまり二卿事件や西南戦争、呼応した土佐と紀伊勢の挙兵失敗などもあり、西南戦争で敗北した薩摩勢、土佐派に代わって長州閥が主導権を握るなどした結果、政治の面でも様変わりしましたが、いわゆる長州閥と言うのは朝鮮などの儒教を信奉する集団で、儒教的な形態に神道を改竄しようとした感すらあります。

神道の分野でも、この言葉の捉え方は大きく変わりました。津和野派後の解釈は平田篤胤の解釈を基礎として、禍津日神の解釈は、一般的な八百万の神々の一つとしてみる様な考え方になります。

しかしながら、政治主導の神道が形成される以前の解釈は本居宣長國学の影響が強く、禍津日神を文字通り悪神と見る考えが主流で本居宣長は、

「世中の事も、吉事善事のみにはあらず、惡事凶事もまじりて、國の亂(乱)などもをりをりは起り、世のため人のためにあしき事なども行われ、又人の禍福などの、正しく道理にあたらざることも多き、これらはみな惡き神の所為なり、惡神と申すは、(中略)禍津日神と申す神の御靈によりて、諸の邪なる事惡き事を行ふ神たちにして、さやうの神の盛に荒び給ふ時には、皇神たちの御守護り御力にも及ばせ給はぬ事もあるは、これ神代よりの趣なり」

と述べています。

簡単に言いますと、神々に護られているはずのこの世の中も、悪事がはびこり、災いが訪れ、国が乱れ、悪行は成就し、不条理が多いが、これは全て悪神の仕業であり、禍津日神という神の影響によるもので、活発なる時には善神も護りきれない、という意味です。

この禍津日神というのは、黄泉の国の穢によって生じた神とされ、本居國学に於いては、その故事を重く見て、物の穢を特に避けるべきであると解されます。本居宣長國学が政治主導の神道によってあまり認知されなくなってからは穢と神話の関係について知る人は減りましたが、この様な説があり、神道が穢を嫌うのには、それなりの理由があるという事が分かります。

年の瀬でもありますので、清めを心掛けてみてはいかがでしょうか。また、年明けには御祓いなどしてもらうのも良いかも知れません。




2016.12.29 五瀬





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